収穫量は世界で年間だいたい1億3000万tくらいで、そのうち1億tくらいは中国で生産され、日本では約100万t生産されているようです。そのうちのほとんどは加工用です。昭和30年頃は現在の7倍の生産量があったようで、第二次世界大戦後の食糧難も救ってくれました。豊かになるにつれて減っていくことがわかります。

以下は、ぽてすとが文献資料等をを元に調べたものなので、間違いがありましたらすいません。

さつまいもの歴史

一説では、日本のさつまいもは1597年に宮古島に入ったのが最初と言われていますが、定かではないようです。

1605年に中国との貿易の貿易船の責任者野国総管によって中国福建省から鉢植えの状態で琉球に入りました。野国総管は後に芋大主と呼ばれ尊敬されるようになります。沖縄県嘉手納町には「甘藷発祥の地」の石碑があり、毎年10月の第一土曜日、日曜日に野国総管祭があります。

その後、儀間真常という役人が15年かけて琉球全体に広めて行きます。その偉業により儀間真常は琉球五偉人の一人となっています。

1705年に薩摩の国山川の前田利右衛門が琉球より苗を持ち帰り栽培したことで「薩摩芋」と呼ばれるようになって長崎など、瞬く間に九州全土で広く栽培されるようになります。中国から伝わったお芋なので「唐芋」、または中国と同じ呼び方で、じゃがいもを「馬鈴藷」というのに対して、さつまいもは「甘藷」ということもあります。
鹿児島県指宿市山川にある「徳光神社」は「からいも神社」と呼ばれ、「さつまいも発祥の地」とされています。

その後、江戸時代中期までのたび重なる飢饉によって救荒作物として注目され、西南暖地を中心に全国に広く普及していきます。
1732年の享保の大飢餓の時も薩摩藩はお芋のおかげで餓死する人が少なかったそうです。

関東には1735年、蘭学者の青木昆陽が徳川吉宗に言われて薩摩から江戸に種芋を取り寄せ、小石川御薬園(現:小石川植物園/東京都文京区)や現在の千葉県幕張周辺で試作したのが始まりとされています。京成千葉線幕張駅のすぐ側に「昆陽先生甘藷試作之地」と刻まれた記念碑があります。また、幕張には青木昆陽の偉業を讃えて「昆陽神社」(別名 芋神様)が建てられています。「蕃藷考」という古書にも関東に伝えたときの栽培方法などの記録が残されています。

さつまいものことを関西では「琉球芋」、関東では「薩摩芋」と呼び、江戸の女性は「阿薩/おさつ」と呼んでいたそうです。

それから16年後の1751年に埼玉県の川越藩とその周辺地域で本格的に栽培が始まりました。ちなみに、1番最初に川越芋が作られたのは現在の所沢市南永井というところで吉田弥右衛門という人が、種芋200個から始めたそうです。これが「川越芋」のはじまりで、吉田家には、吉田家文書という古文書がが残されていて、所沢市の文化財に指定されています。吉田家の庭には「川越芋始作地」の記念碑もあります。

寛政の頃(1700年代末)に「川越芋」が爆発的に流行します。江戸から近くて運びやすかった事もあり、当時「川越芋」は質も良く最高級品とされていたようです。赤沢仁兵衛という人が栽培方法の研究と苦労を重ねて「川越芋」を確立させたそうです。後に「赤沢仁兵衛・実験甘藷栽培方法」という書物を残しています。
江戸で1番最初に焼き芋が売られたのは1793年の冬で、本郷四丁目で木戸番の人が「八里半」と書いた旗を立てて焼き芋を売ったそうです。8里半は栗(9里)より少しだけ劣るという意味で付けた洒落。謙虚です。

1789年には122種類のさつまいも料理のレシピ本「甘藷百珍」も出発されています。

天保時代(1830年頃)の書物「諸国名物番付」に、さつまいもの代表産地として川越地方と記載されました。当時の焼芋屋さんは、さつまいもを十三里と呼んで「栗(九里)より(四里)うまい十三里」という看板を出していたそうです。13里は江戸から川越までのおよその距離でこちらも洒落です。自信満々です。
大阪では焼き芋を「ほっこり」と呼んでいたそうです。

江戸時代の後期には、現在と変わらない栽培方法が確立され、貯蔵も行われていたようです。

「江戸繁盛記」に焼き芋について「4文も買えば泣き叫ぶ子供をなだめられる。10文も買えば食べ盛りの書生の朝めしのかわりになる」という文が残されています。4文は現在の金銭価値で80円くらい。また、当時の大名や裕福な人達も喜んで食べていたようです。

東北本線が引かれ、1889年埼玉県大宮の飯野喜四郎によって福島県にもお芋が売られました。初めて売りに出したお芋は言い値で直ぐに売れたそうです。
鉄道が北へ伸びるにつれて、寒くて栽培できない地方にまでお芋が届くようになりました。

今ではは北海道でも栽培を試みていて、独自の栽培方法や保存方法の研究が日々行われています。

現在の「さつまいも」の生産量は1位が鹿児島県、2位が茨城県、3位が千葉県となっています。圧倒的な生産量の鹿児島県ですが、そのほとんどが焼酎の材料になる黄金千貫などの「飲むさつまいも」で、焼き芋にして美味しい「食べるさつまいも」の生産量では茨城県がトップになります。ただ収穫量が多いだけではなく茨城県は独自のブランド芋を作り、巨大な貯蔵施設を造ったり、他県より「食べるさつまいも」の研究と努力をしてきました。
魅力度ランキング最下位に選ばれたりする茨城県ですが、甘藷に関しては日本一だと思います。

品種登録されたお芋の苗、生芋は日本国外への持ち出しは禁止されています。


最後に日本に「さつまいも」が入る前の起源について。

南米の熱帯地に生息するトリフィーダという植物が原種だということが研究から判明しています。
長い年月の中で交雑と選抜を繰り返し変異しながら世界中に広まったとされています。
紀元前3000年には既に栽培されていたらしく、紀元前1000年にはポリネシアに渡っていたという説もあります。紀元前200~600年に作られた、ペルーのモチーカ文化のサツマイモの形の土器なども発見されているようです。
ヨーロッパにはコロンブスによってスペインに入りましたが、気候が合わず栽培されなかったようです。
イギリスに持ち込まれたお芋はペルーでの塊茎を意味する言葉 batata から patate と呼ばれ、じゃがいも/potatoに対して、さつまいもは sweet potatoと呼ばれるようになりました。現在もさつまいもは英語でスイートポテトです。
その後、東南アジアに広がり、1571年にフィリピン、中国には1594年に陳振龍によってフィリピンから福建省に伝わっています。そのわずか11年後に野国総管によって日本に持ち込まれました。